第6回理事会開催
 8月27日(土)全地連会議室でGUPI第6回理事会が開催されました。 前回理事会以降の活動報告、賛助会員の入会承認の後、主としてWeb-GISコンソーシアムについて話し合われました。 コンソーシアムの内容そのものについては、前号の説明会記事にある通りですが、産総研との共同研究に関して、産総研の会計上の都合により、GUPIは協定締結の当事者になれないだろうという事態の変化が報告されました。 これに対して疑義が出されましたが、よりよい使いやすいGISを業界や自治体に供給することが真の目的であり、それこそ会員が望んでいることであろう、実を取れば良いのではないかとの会長発言がありました。 自治体への普及には産総研ブランドが有利に働くことは明らかだし、産総研と組めば地質の普及にも力になる、この方向で進めてはいかがとの発言もありました。 結局、産総研と在京理事とでよく話し合い、打開策を考えようということになりました。
 このGISコンソーシアムが設立され、GUPIが受託者となるまでの1・2ヶ月(9〜10月)キャッシュフローが厳しくなるので、賛助会員・正会員の新規加入の推進や賛助会員口数の増加に積極的に取り組もうと申し合わされました。 皆様のご協力をお願いいたします。
 次に、講習会・見学会・シンポジウム等々の各種行事を企画・立案・実行する行事委員会を設置することになり、蛻苡C一理事に委員長をお願いすることになりました。
 なお、Geoparkに関して日本地質学会内にGeopark設立推進委員会が設置されたことと、全地連が日本地質事象百選推薦事業に取り組んでいることが報告されました。
 次回第7回理事会は11月19日(土)午後1時〜4時に予定されています。
正会員・賛助会員の入会勧誘にご協力を!

三 宅 島 巡 検 実 施
  三宅島全島避難の5周年当日、GUPI第1回地学見学旅行を実行しました。 直前に火山ガスによる避難騒ぎが報道されたためか、最少催行人員よりも参加希望者は少なかったのですが、旅行社ジオプランニングのご協力で実行することにしました。
 参加者13名と案内者の産総研川邉さん、およびジオプランニングの立澤さんの総勢15名でした。 9月2日夜竹芝桟橋から「かめりあ丸」に乗船、台風の影響が心配されていましたが、大きな船だったためか全く揺れず安眠できました。
 早朝三池港着、快晴、目前の山の木々が火山ガスでやられて白骨林になっているのが痛々しく感じられました。 すぐバスで阿古のホテルまで行き、朝食後、島の北西半分を巡検しました。 なお、三宅島測候所の藤原さん他3名の現地参加もありました。
 図-1 に全コースとストップの位置を示していますが、紙面の都合上、以下代表的なところを解説します(図-2)。
 最初に見たのは2000年噴火に伴う道路や石垣の亀裂でした。 次いで前回1983年噴火の溶岩流で埋まった旧阿古集落です(図-3)。 強烈な印象でした。 当時家々が溶岩流に飲み込まれて焼けていく様子をテレビで見たことがまざまざと思い出されます。 新しい道路の切り割りで溶岩に埋まった自動車の断面が出現していました。 伊豆岬では典型的な火山豆石(八丁平火山豆石層)を見ました。 大久保では雄山期の姉ガ潟溶岩と大規模な岩脈を見学しました。 焼場漁港では明治溶岩を見ましたが、灰長石の大きな結晶が入っており、鉱物の好きな方は喜んでおられました。 漁港ではクエという大きな高級魚が水揚げされていました。
 最後に神着の林道で今回2000年8月29日噴火の低温火砕流堆積物と7月14-15日の火山灰を見ました(図-4)。 火砕流と火山灰との違いなど議論が活発に行われました。 全島避難した噴火にしてはずいぶん薄い地層だなあとの印象でした。 やはり火山ガスの影響が大きかったためでしょう。  ここから雲の晴れ間をぬって、瞬間的でしたが、雄山山頂が眺望できました(図-5)。
 宿は島で一番大きなホテルだそうで、ウオーキンググループやコンサルタント技術者など大勢泊まっていて結構混んでいました。 復帰直後ですし、山は火山灰で荒れていますから山海の珍味は期待していませんでしたが、海の珍味は出ると思っていたのに、少々がっかりの夕食メニューでした。 海は5年間休漁状態だったわけですから、魚は増えているとのことでしたのに、どういうわけでしょう。 帰ってきてから聞いた話では、魚を捕る漁師がいないとテレビで報道していた由、何でも人口が半減したそうですから、無理もないのかも知れません。
 夕食後ミーティングがあり、川邉さんから「高校生向け」というわかりやすいスライドと、たくさんの噴火時のビデオや写真を見せていただきました(図-6)。 噴火初期、単なる水蒸気爆発なのかマグマ水蒸気爆発なのかで産総研と東大地震研で論争があったことの紹介があり、マグマが関与したと断定した根拠について、カリフラワー状火山弾を例に説明されました。 これでもかこれでもかとさまざまな証拠を集めた話には皆感銘を受けました。 文系出身の方もおられましたが、サイエンスの神髄に触れた思い、と感想を述べておられました。

 翌日も快晴、島の南東半分の巡検です。 富賀神社の近く間鼻では、水中に落下したため急冷した構造を示す火山弾を見ました (図-7)。
 ここから先は火山ガスの高濃度地帯、バスの中から出られませんので、全員の記念写真を撮りました(図-12)。
 新澪池跡も新鼻の1983年マグマ水蒸気爆発跡も車窓からの遠望で我慢です(図-8)。 立根の仮橋では砂防堰堤を見学しましたが、土石流が起きた場合に備えて工事用の仮橋も撤去しないでそのままにしておくのだとか。 今後も大雨の度に泥流災害の心配をしなければなりません。 帰島が叶ったとはいえ、今後も三宅島の人々には厳しい生活が待っているのだろうと同情を禁じ得ませんでした。 坪田では港の突堤が沈下している様子を遠望しました。 何でも島全体も沈下しているらしく、サーフィンに好都合な海浜が新しくいくつも出現したそうです。
 赤場暁では今回の噴火に伴う泥流で埋没した椎取神社と鳥居を見ました(図-9)。 最後に大路池までとって返して湖畔で弁当をいただきました(図-10)。 ここには絶滅寸前の「たいろ藻」という固有種の水藻が生えているとか。 なお、大路池は三宅島の大事な水道水源だそうです。

 この日は台風の影響で船の運行予定が全くわからず、最悪の場合には早朝5時に帰還とか、10時だとか、その都度立澤さんは連絡に追われていました。 幸い船は定刻に出発しました。 その上、台風の余波で荒れるとの予想に反してべた凪でしたから、誰も船倉にいる人はなく、期せずしてデッキでの楽しい洋上大宴会となりました(図-11)。

 この巡検は科学的にエキサイティングであると同時に大変なごやかで参加者一同お互いに仲良くなり、またいつの日にかの再会を約して分かれました。 村営牧場など良い見学スポットに立ち入れなかったなどの不満はありましたが、大成功だったと思います。

図-1 巡検コース(@印はストップ位置)

図-2 巡検風景

図-3 1984年溶岩で埋まった建物

図-4 2000年噴火の低温火砕流(上半部)

図-5 雄山山頂

図-6 宿でのミーティング

図-7 水中で急冷した火山弾

図-8 新鼻マグマ水蒸気爆発跡

図-9 埋没した椎取神社

図-10 大路池

図-11 洋上大宴会

図-12 記念写真(立澤氏撮影)

全地連技術e-フォーラム
 9月8〜9日、仙台国際ホテルで全地連の技術e-フォーラム2005が開かれ、GUPIもブースを出展しました。 活動を紹介するパネルと共にマップサーバやWeb-GIS版電子納品統合管理システム(Web-titan)のデモも行いました。
 熱心に質問する方などもおられ、Web-GISに対する関心の高さを痛感しました。
・「指定した柱状図を並べて表示して利用者が境界線を引ける(断面図を描ける)ようにしてはどうか。
・その時は地表面(DEM)を描く必要もあるだろう。
・電子成果品(CD-R)以前の地質調査報告書も管理できるようにして欲しい」などのご意見を頂戴しました。
 

PDFファイル(1.5MByte)も用意しました。 こちらからどうぞ